住宅ローン地獄 体験談

住宅ローンを借りてマイホーム購入するときに一番不安に思うことは「住宅ローンを返していけるのか?」ということだと思います。そして、住宅ローン返済ができなかったときの住宅ローン地獄生活に恐怖を感じられるのだと思います。

しかし、住宅ローンが払えなくなり、住宅ローン地獄生活とは具体的にどんな生活なのでしょうか?あなたはおそらく経験したことが無いのでイメージができないでしょう。そこで、過去に2回住宅ローンが払えずに住宅ローン地獄生活を味わった私自身の体験談をお伝えしたいと思います。

住宅ローン地獄の体験談をお伝えすると同時に、そうならないためにどうすればいいのか?また、住宅ローン地獄から脱出するためにすべきことも同時にお伝えします。

子どもの時に経験した住宅ローン地獄生活体験談

「電気のムダ使いするぁぁぁ!!」こんなことを毎日毎日言われる生活でした。

私の親が住宅ローンが払えなくなったのは私が中学2年生くらいの時です。その当時の詳しい家計の事情までは知りませんが、高額な住宅ローンの借入、収入減、浪費が原因だと思います。

その当時、友達の影響でエレキギターを始めたばかりでした。エレキギターなので当然電気を使いますよね。でも、練習をしていると「ムダな電気を使うな!」と怒られるわけです。なので、エレキギターなのに電気を使わずに練習するか、親がいない間にこそこそ練習をしていました。

友達は当然そんなことを気にせず、自由に練習しています。そんな状況にものすごく嫌気がさしていました。

当時は中学生が携帯電話を持っているような時代ではありませんでしたから、彼女ができても電話するのは家の固定電話です。初めての彼女ができたので、電話したいですが、電話代がかかるのでいつもかけてもらっていました。そういうのにも負い目を感じます。

学校で必要なものを買うのにお金がかかる時もすごく言いづらかったことを覚えています。ギリギリまで言えずに、締め切りの前の日に言ったりすると「なんでもっと早く言わないのか!?」と怒られます。こっちも言えるもんなら言っているわという言葉を飲み込みます。

その他にも、お金がかかることはとにかく親の気を使います。欲しいものや必要なものがあってもなかなか言い出せません。

こんなおもしろくない毎日に嫌気がさし、タバコを吸ってみたりお酒を飲んだりと非行に走りかけることもありました。しかし、長男だった私は「今自分が非行に走ったら、誰が母親を支えるんだ。」と思い、非行には走らずに済みました。

パパ、今までありがとう…

住宅ローン地獄 体験談

こんな状況ですから、もちろん家の中の雰囲気は最低です。義父に借金癖があったのも住宅ローンが払えなくなった原因です。義父の仕事は終わるのが夜遅かったので、家族全員で食事をすることはほとんどありませんでしたが、休みの日にそうなったときはお通夜です。誰も口をきこうとしません。母親もしくは義父が口を開いたらケンカが始まります。そんな出来事を8歳年下の弟はおびえながら見ていました。

借金を繰り返す義父を家に入れずに軽自動車で寝泊まりさせるという母親の仕打ちに耐えかねて、ついに義父が給料振込口座を自分だけが知っている口座に変更してしまいます。お金が入ってこなくなった母親はパニックです。働きに出てはいましたが、そんなに稼ぎは無く、生活していくのに足りません。そんなことをされるくらいならということで、ついに離婚を決意します。

離婚の日です。

8歳年下の弟は義父の実の息子です。弟とお別れの挨拶をするときに弟が泣きながら「パパ、今までありがとう。」と言っていました。

義父はその場で大泣きしたようですが、時すでに遅しです。

家を買い取ったから出て行ってくれと聞かされる

離婚はしましたが、義父を除く家族はそれまでのマイホームにとどまれていました。(どうやったのかは知りませんが)

しかし、私が高校3年生の時です。突然家にスーツ姿の2人組がやってきて「お母さんはいますか?」と聞いてきました。仕事に行っていたので「いません。」と答えると、実は、この家が競売に出されていて、それを私どもが買い取った。そのため、いついつまでに荷物をまとめて出て行って欲しいと言われました。

衝撃でしたね。まさか家を出て行けなんて言われると思っていませんでしたから。(そんなん子どもに言うなよとも思いますが)

その年の3月末までで引っ越さなければいけなくなり、5LDKの一軒家から築40年は超えているであろう、ボロボロで3DKのニコイチに引っ越すことになりました。

13年経った今でも実家はまだそのボロボロのニコイチです。

親にも子にも余裕は無く

母親は朝も夜も働いて全然気持ちに余裕はありませんでした。私自身も高校を卒業したら進学をしようと思い、学費や生活費を貯めるために学校が終わってから遅くまでアルバイトをしていました。

私が夜家に帰ったら母親はもう寝ている、ほとんどそんな毎日です。

高校3年生の時に進路をどうするのか担任に聞かれましたが、自分で決めている進路を伝えました。当時バンドブームで、家族に楽をさせてあげたいと思った私は「音楽の世界で一山当てたら家族が楽になるだろう」と思い、音楽の専門学校に行こうと決めていました。

しかし、大学への推薦の話も出ていました。そんなことを息子からでは無く担任からはじめて聞かされた母親は私に激怒しました。なぜ相談しなかったのかと。普段母親にあまり反抗はしないのですが、この時私は何かの糸が切れたのか思いっきり「相談できるような状況でなかっただろう!」と声を上げて反抗しました。

お互いにいっぱいいっぱいで自分のことを相談できるような状況では無かったのです。

お金が無くて何度も死にかけました

学費は奨学金を借りて、新しい環境の整備や生活費や自分がそれまで貯めた貯金で私は大阪にある音楽の専門学校へ進学しました。

当時「家具家電付き、光熱費無料」を謳っていたレオパレス21にあこがれた私はレオパレス21を借りました。しかし、自分の貯金で払えるところは専門学校からバイクで1時間半もかかるところでした。しかも、家賃を1年分支払ったらほとんど貯金は無くなり、次の1年間でもう1年分の貯金を貯めなければいけませんでした。

進学はしたものの、音楽の勉強よりも来年の家賃をどうするのか?ということが頭の中を占めていました。家賃をためられないと大変です。レオパレス21以外のアパートを借りるにしても今度は家具や家電を買わないといけませんし、敷金や礼金が必要なので結局きちんとお金を貯めておかなければいけません。

学校が終わったら居酒屋でアルバイトをし、終わるのは深夜3時や5時。そこから1時間半掛けて家に戻ります。仕事でクタクタな上に深夜です。帰宅途中、一気に眠気が襲います。何度も居眠り運転をしていて、気がついたらトラックにぶつかりかけだったということが何度もあります。

アルバイトをして給料をもらったからといって自由に使えるお金はわずかです。そこで私は早く家賃をためてしまおうと、朝と昼ご飯は学校の近くで50円で売られている見切り品の6枚切り食パンを1枚ずつ。夜ご飯とお腹が空いたときは砂糖を食べていました。自分のお弁当が恥ずかしすぎて、入学からしばらくは誰もいないところで一人で昼ご飯を食べていました。

親のお金で進学をし、アルバイトもせずに遊んでいる同級生を見ると本当にうらやましかったです。

これが私自身が購入したわけではありませんが、マイホーム購入での辛い経験1回目です。

住宅ローン地獄になることが、子どもの心や生活にどんな影響を与えるかがわかっていただけたんじゃ無いかと思います。

2回目の住宅ローン地獄体験

「あんたが家が欲しいなんて言うからこんな生活になったんよ!」

今での奥さんにこう言われたときのシーンを鮮明に思い出します。住宅ローンが払えなくなり、毎月カツカツの生活です。少しのムダも許されません。いくら節約しても節約しても毎月の赤字は解消せず、貯金は減り続けます。

心の中には焦りしかありませんでした。いくら家計簿をつけたところで、これ以上どこを節約するかを考えたところで何も変わりません。

「あと4ヶ月したら貯金が無くなる」

この状況は尋常ではありませんでした。

家計を管理していた私は奥さんの行動を細かく細かくチェックしていました。電気を少しつけっぱなしにしているだけでそれを指摘し、食べ物を捨てるなんてもってのほかです。とにかくお金を無駄に使うことは許されないという状況でした。

そんな中不満が爆発した奥さんの言葉が「家なんか買わんかったらよかった。」です。

私が家を買おうと思ったのは23歳の時です。それまで家賃42,000円のぼろアパートに住んでいましたが、家賃を支払うのがもったいなくなり、突然家を買おうと思いついたのがきっかけです。

私はまず徳島で一番大きな住宅展示場に足を運びました。そこはボロボロの家に住んでいる私からすれば別世界でした。立派で綺麗な家をたくさん見るうちに、早く自分の家が欲しいという思いはどんどん高くなっていきます。ボロボロの家に住んでいることがそれに拍車を掛けます。

早くこんなぼろ家生活から抜け出したい!家賃を払うのがもったいない!そんな気持ちがどんどん強くなり、私はあれよあれよという間に家の購入を進めていきました。

家を買おうと思いついたときから3ヶ月後には新築一戸建てを購入していたのです。資金計画なんて何にも考えていませんでした。ただ、買えるかどうか、つまり住宅ローンの審査に無事通るのかどうかだけを気にしていました。

その当時は共働きで子どももいませんでしたから、毎月12万円の住宅ローンも全然大丈夫だと思っていましたし、実際大丈夫でした。その上、家を買うと同時に車もローンで購入していたので、全部で支払いはつき14万円でした。それでも生活して貯金をするのに問題はありませんでした。

しかし、マイホーム購入後から1年。奥さんが体調不良になり仕事を辞めることになったのです。

その湯治私の年収が450万円くらいでした。その年収で毎月14万円のローンを払いながら生活するのは無理でした。

貯金がどんどん無くなっていきます。どんどん焦りが強くなります。仕事をしていても気が気じゃありません。毎日夫婦げんかです。子どもがいなくて本当によかったともいます。子どもがいたら自分が経験したイヤなことを同じように経験させることになっていました。

奥さんにも言われましたが、私自身も「家なんか買わなければよかった。」と何度も思いました。

そんな状況で1つだけ希望がありました。当時私は東京海上日動の代理店の営業社員だったのです。給料は固定給と歩合給の2つに別れています。この歩合給を稼いでくる以外に、この住宅ローン地獄状態から抜け出す方法はありませんでした。

私は死にものぐるいで働きました。朝5時から起きて夜は8時まで。家に帰ってからもできることは全部やりました。その結果、歩合給を増やし、翌年には年収が600万円と、家を買って共働きで稼いでいたのと同じ金額を稼げるようになりました。

歩合給部分が無ければ終わっていたと思います。

住宅ローン地獄生活の明暗を分ける要素

私自身の例ですが、私の両親は住宅ローンを払えなくなったらそのまま払えなくなり、節約を強いられる生活の後、家庭崩壊して離婚しました。

私自身が購入したときも同じように節約を強いられる生活になり、家庭崩壊しかかりましたが、そのあとで持ち直しました。持ち直しただけでは無く、住宅ローン地獄生活に陥る前よりも収入が上がりました。現在でも収入は上がり続け、家を買った時の年収の10倍以上になっています。そのおかげで、私は子ども時代に体験した住宅ローン地獄生活も今では感謝しています。

同じ住宅ローン地獄状態になった2つの例の明暗を分けた原因は何でしょうか?それは、

絶対に住宅ローンを払ってやるという決意とそれを実現できる状況に身を置いているか

住宅ローンが払えなくなったときにやるべきことは2つです。1つは出費を減らすこと。もう1つは収入を増やすことです。

出費を減らすことは取っつきやすいのでぜひやるべきでしょう。しかし、これには限度がありますし、やり過ぎると毎日が楽しくなく、何のために生きているのかわからないとまで感じることもあります。

そこで取り組むべきは収入アップです。もちろん、すぐさま収入を上げることは難しいかもしれないので、まずは保険を見直したり携帯代を見直したりと、直接日常生活に影響が少ないところで出費を減らしましょう。

そのあとはどうすれば収入を増やして住宅ローンを支払いながらこれまで通りゆとりのある生活を送れるようになるのか?ということに意識を向けるべきです。

ここで一番大事なことは、自分で収入を上げられる状況にあるかどうかということです。サラリーマンや公務員という立場であれば、給料はほぼ固定給でしょう。夜勤手当や休日出勤などが追加でもらえる場合もあると思いますが、大きく収入アップさせることは難しいと思います。

しかし、個人事業主や会社経営者、雇われている身でも歩合給や業績給を得られるような立場であれば、自分の行動次第ですぐ収入を上げることが可能です。

私の両親も住宅ローンを払いながらきちんと生活を立て直すという気持ちはあったでしょう。しかし、両親とも雇われている身でさらに固定給、つまり人に給料を決められる立場にあったのでそれが実現しませんでした。

私の場合は収入の中に歩合給部分があり、ここを増やすことで収入を増やせる立場にありました。

ここが、住宅ローンをそのまま払えなくなったか、そうではなく払えるようになったかという明暗を分ける結果になったのです。

あなたの立場によって住宅ローン地獄にならないための対策が変わる

このように、収入を自分で決められない立場にあるならば、現在の収入で支払えるだけの住宅ローンを借りるようにするといいです。それが住宅ローン地獄を防ぐ一番の対策です。

もし、個人事業主や会社経営者、歩合給を得られるサラリーマンであれば収入を上げましょう。それが住宅ローン地獄にならないために一番いい対策です。住宅ローン地獄にならないどころか、収入が増えれば人生における選択肢が増えます。買いたいものややりたいことをお金を理由にあきらめたりしない生活を手に入れることができます。

もし、現在はサラリーマンなどで収入を決められる立場には無いが、現状の収入では満足できるマイホーム購入ができなかったり、お金を理由にもう一人子どもを作るのをあきらめたり、その他諦めなければいけないことがたくさんあるということなら、収入を自分で決められる立場へ変わられることをオススメします。

個人的にはサラリーマンや公務員よりも個人事業主の方がリスクは低いと思っています。さらに自由です。何でも自分のやりたいようにできます。

現在の延長線では、あなたが送りたい人生にならないのであれば現状を変えましょう。そうすれば、延長線上に描かれる将来も変わってきます。